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「わずかでも智を、せめて素であれ」― アルコール依存症と一生向き合うためのブログ

アルコール依存症で初入院するまで(5):マロリーワイス症候群での吐血と、人生初の手術と入院【破綻編】

週末は連続飲酒状態で酒浸り。酒を飲んでいない平日の日中は、常に強烈な嘔吐感に襲われ、職場でも移動中でもトイレに駆け込みゲーゲーと嗚咽を繰り返す日々。平日も帰宅したら酒を飲み、離脱症状がピタリと収まるのに安堵しつつ、また寝るまで酒を飲む。朝まで寝られない時は、早朝4〜5時だろうと、罪悪感たっぷりの気分でコンビニまで酒を買い足しに行く。平日に考えていることは、早く酒にどっぷり浸れる週末が来ないかということばかり。

そんな日々が、1年近くは続いたでしょうか。

驚くことに、上のような状態が続き、自分でも「これは立派なアルコール依存症だ」という自覚はあっても、それでも自分はまだ”Under Control”、つまりコントロール可能な状態にあると思い込んでいました。

というのも最初の頃は、「このままではいけない」と、一週間程度の断酒期間や、休肝日を無理やり設けることもあり、それは成功していたからです。しかしそれもだんだんと期間が短くなり、ついにはなくなっていきました。休肝日を作るのが無理だとわかってくると、今度は酒量が無尽蔵に増えないよう、できる限りコントロールしようともしていました。もちろん酒と睡眠薬を併用することも、極力やめていました(というよりも、手持ちの睡眠薬がなくなり、心療内科に足を運ぶ元気すらなくなっていた、というのが正確なところだったと思います)。自分はどうしても酒を止めることはできない。だから、せめて飲み方をコントロールして、騙し騙し生きていくしかない、などとも考えていました。

しかし、そんな生活が長続きするはずはありません。

私の場合、その破綻は「吐血」という形で訪れました。確かあれは、いつものように連続飲酒状態だった週末のこと。その週末はついうっかり「たまには違う酒を」と考え(もうこの時点で、全く酒に対するコントロールを失っているわけですが)、普段より度数の高い泡盛を、1日で1本、2日連続で飲んでいました。さすがに泡盛は体に応えたのか、飲んでいるにもかかわらず、吐き気が出てきます。よく考えれば酔っているので当然のことなのですが、当時は「吐き気=離脱時に催すもの」だったので、酩酊時に吐くのはおかしい、などと思っていたのです。なんともまあ、今思えば狂っているとしかいいようのない状態ですね。

そして平日を迎え、酒を飲まないでいると、猛烈な離脱がまた襲ってきました。普段から吐き気には襲われていましたが、今回は自分でも全くコントロールできずに、トイレに駆け込もうとするも間に合わず、大量の胃液混じりの水を寝床で吐いてしまいました。ちょっと不謹慎なたとえかもしれませんが、ご存知の方であればかの漫☆画太郎氏のマンガの一コマのように、本当に「ゲッー!!!!」と滝のような勢いで吐いてしまったのです。

これはまずいと思った自分は、「今夜は飲まずに過ごそう」と決意します。ちなみにこうしたいわば「プチ断酒」も、当時はよく繰り返していました。というのも、2日も我慢して飲まなければ、最初こそ猛烈な離脱症状に苦しむのですが、すっかり元気になってまた飲めるようになるからです。そしてこういうときは、少しでも水分が体に入るようにと、スポーツドリンクや経口補水液のようなものを飲むようにしていました。

しかし、この時は違いました。大量の水を吐いたあと、何度も経口補水液を飲み直しますが、それでもたまらず吐いてしまいます。ついにしまいには、なんだかドス黒い、まるで「もずく」のようなものが吐瀉物に混じってきます。これはいつもと様子がおかしいぞ、と自分でも思います。

そこからは、何も吐くものがなくても、トイレに常に張り付いてしゃがみ込むような状態が続きます。二度、三度と吐くたびに、今度はピンク色の液体に、そして真っ赤な鮮血が交じるようになってきます。吐血です。これはまずい、と思いました。

実はこれ以前にも、嘔吐のときに鮮血がわずかに混じっていることはしばしばありました。何度も何度も吐くことを繰り返していたので、すでに数ヶ月前の段階から消化器内科には何度か通院し、人生で初めての胃カメラ検査も受けていました(鼻から入れる小型のタイプではなく、喉から入れる大きなタイプだったので、あまりの異物感と気持ち悪さで、軽いトラウマになりました)。幸い検査の結果、「潰瘍」などはありませんでしたが、「糜爛(びらん)」といって、胃腸の粘膜が灰色にただれて削れている箇所が多数見られ、お医者さんには「ちょっと汚いね!」と言われる程度で済んでいました。なので、それほど大事にはまだ至っていないと自分では考えていたのです。

実際、嘔吐に血が混じっていても、しばらくすれば収まっていました。少し喉の粘膜がやられただけだ。今回もそうだろう。そう思っていましたが、吐くたびに鮮血の量が増えていきます。そしてしばらく寝ようと布団の中で落ち着こうとしているのですが、離脱症状のせいで全く眠気は訪れません。そして、水すら飲んでいないのに、また吐き気が訪れます。今度はまた黒いもずく状の吐瀉物。私はそれをスマホの写真で撮って、LINEで友人たちに相談しました。すると、それは血液が胃の中で変化したものであるということを、吐血での入院経験を持つ友人から教わりました。

そこから何度か黒い吐瀉物を吐いたあと、自分は観念しました。これは立派な吐血である、と。放置していれば、ひどいことになる。それでも、いきなり救急車を呼ぶのは躊躇しました。ですので、まずは #7119 の救急相談センターのWebサイトで症状を調べました。吐血はすぐさま119番すべきである、とのことでした。それでもまだふんぎりがつかず、今度は #7119 に電話をし、症状を伝えました。救急車を呼ぶべきである、と言われました。もうここで観念した自分は、119番に症状を伝え、救急車を頼みました。

ほどなくして、救急車が自宅に来ました。吐血したとはいうものの、出血量はまだ少なく、意識ははっきりとありましたので、自分で歩いて担架に乗り、症状を伝え、近くの総合病院へと搬送されました。ついたのは夜中の24時前ころだったでしょうか。そこから、精密検査で吐血の原因を調べてもらいました。CTスキャンも受けましたが、胃の中がドロドロで何も見えない(わからない)と言われました。これは胃カメラ検査で、必要があればその場で早めに手術するしかない、とのことでした。そして自分は深夜の午前3時ころでしょうか、手術室に運ばれました。

強力な麻酔薬を打たれたようで、最初のほうは全く意識がありません。しかし、効き目は30分ほどで切れてしまうようです。おそらく2本は打たれたと思うのですが、最後のほうの約20分くらいでしょうか、このあいだは麻酔なしでの施術となり、意識は完全に戻っています。胃カメラは当然まだ飲み込んだままです。あまりにも辛くて苦しいので、看護の方たちが数人がかりで自分の身体を押さえつけての手術が続きます。

そして手術を開始したときは、施術担当の先生は2人しかいなかったはずですが、確か午前4時過ぎに手術が終わったときには、4人に増えた先生が汗だくでクタクタの姿になっていました。私もボロボロの状態になりながら、「あの、手術はどうだったのでしょうか……」と恐る恐る尋ねたところ、「それより、今日はもう寝たほうがいいよ」「そうだね……、とりあえず、もうあんた酒はやめたら?」と言われたのを、はっきりと覚えています。

そのまま私は車椅子で救急病棟に運ばれ、一晩を過ごすことになります。しかし一晩といっても、時刻はすでに5時を回っています。常にピッピッピッという大きな機械音が鳴り響く中、もちろん一睡もできずに朝、起床時間を迎えます。点滴もついた状態ですので、トイレに行くにもナースコールが必要です。私はまず、昨夜から一滴も液体を口に含んでいなかったので、猛烈に水で喉をうるおしたい渇望に駆られました。ナースからは「点滴もしているので水を飲むのは禁止」と言われていましたが、トイレの中でこっそり飲んでやろうと思っていたのです。

そして、歯磨き用にと与えられたマグカップに水を注ぎ、恐る恐る、チビリとごく少量を飲み下そうとしたところ、喉の中に文字通り焼けるような激痛が走りました。思わず、叫び声が出そうなほどでした。たとえるならば、夏の海水浴でガンガンに日焼けをしたあと、熱い風呂につかろうとした時のあの激痛に近いものがありました。

その後も一睡もできぬまま、昼前に主治医の先生がベッドへ訪れました。診断結果は、マロリーワイス症候群。繰り返してきた嘔吐によって、食道付近の粘膜がダメージを受け、そこから出血していたとのことでした(胃と違って食道は胃液が通ることを想定していないため、胃酸によるダメージを受けやすいために起こる症状なのだと説明されました)。私の場合は特に爛れがひどく、何箇所にもわたって胃カメラで「クリップ」というパチンと出血箇所を止める処置を行っていただきました。当然、しばらくは水も食事も摂ることはできないとも言われました。

そして言われたのが、血液検査の結果についてでした。「肝臓の数値がどうにも悪すぎる。あんた、どれくらい酒を飲んでいるんだい?」と。そのときは正直に、週末の2日で泡盛を2本飲んだ、といいました。しかし、それにしても数値が高すぎるとも言われました。あとでわかったことでしたが、入院時の γ-GTP 値は600を超えており、ちょうど1年ほど前には200だったところが、あっという間に3倍近くまで達していたのです。自分としては酒量をコントロールしていたつもりだったのに、全くそんなことはなかったことを痛感したのでした。

私はその後、その日の午後には救急病棟から一般病棟へと移り、人生で初めて、数日間の入院生活を送りました。離脱症状もありましたし、病室(4人部屋でした)では夜中に何度もナースコールが呼ばれるため、とても安眠できるような環境ではなく、ただただ辛かったことを覚えています。とはいえ2日目には胃カメラで術後の検査を行い、経過も良好とのことでした(このときはただ検査をしただけですので、麻酔を打たれた間にあっという間に検査は終わっており、胃カメラによる苦痛感は全くありませんでした)。そして、入院してから初めての夕食も出ました。水は飲めるようになっていましたが、食事はほとんど喉を通りませんでした。

翌日の朝食は食パンでしたが、これは普通に食べることができたことを、よく覚えています。やっとまともに食事ができた、と。それだけでも自分にとっては奇跡的なことでした。そして入院中は、毎朝担当の主治医が、スタッフ数人を引き連れてベッドまで検診にやってきます。「食事は取れましたか?」といった質問のあと、あなたの肝機能の値にやはり問題があるので、退院後に肝臓の再検査をすること、そしてそれまでは酒を控えるようにと言われました。これに対して私は、「当然です。もうこんな思いをするくらいなら、絶対に酒は飲みません」と即答しました。このときは、本当に心の底からそう思っていたのです。

実際私は、退院後、再検査までの約3週間にわたって、酒を口にすることはありませんでした。これでようやく酒をやめることができる。そう、安堵していたのですが……。アルコール依存症の本当の怖さは、まだ私には見えていなかったのです。(続く)

【まとめ:自分なりに重要だと思うこと】

  • 吐血をしたら、とにかくすぐに救急車を呼ぼう(自分の場合は少量だったので良かったが、大量出血の場合、そのまま意識を失い、最悪死に至ることもある)
  • その後知ったことだが、マロリーワイス症候群での吐血は、アルコール依存症者の場合は非常によくなる病気とのこと(実際、アルコール病棟に入院したら、自分もなったという人はけっこういた)
  • マロリーワイス症候群は消化器の病としては軽度の部類に入るとはいえ、自分にとっては少なくとも胃カメラでの手術を含め、非常に身体的に辛かった。二度と同じ経験はしたくない。しかし後述するように、それでも酒を完全に止めるきっかけにはなりえないのが、アルコール依存症の本当に怖いところである